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about independent living center BINGO

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CILびんご(自立生活センター・びんご)について

CILびんごは、「障害者自身がサービスの担い手になる」「自分の生活は自分自身で選択し、決定する」という自立生活センター(CIL)の考え方を基本理念とし、2017年4月にスタートした団体です。


 団体名である“びんご”とは、昔中国地方一帯は備前・備中・備後と言われ、

ここ尾道は備後(びんご)にあたります。

また、ビンゴゲームで数字が揃うと『ビンゴー!』と歓喜の声をあげますよね。

私たちは、いつもそのような歓喜の声があがるようなセンターでありたいという想いから名付けました。


 障害を持って生きるのは大変なことですが、施設や親元ではなく、保護や管理でもなく、

地域の中で自分の人生を自分自身で選択・決定し生きていける、そんな社会を目指し、

この尾道の地で活動しております。

自立生活センター(CIL)とは?

 

自立生活センター(Center for Independent Living 略してCILという)とは障害当事者が

主体となって運営する団体のことで、自立生活の理念を実現させる最も有効な手段として、

サービス事業体であると同時に運動体という形態をとっています。

  • 経緯

 1960年代、米国において黒人の公民権運動が激しく荒れた時代、

障害者もマイノリティの一部として同じ公民権法の適用を望んでいました。米国の障害者運動は

以降、公民権法の影響を強く受けることになります。

 1972年、カリフォルニア大学バークレー校を、呼吸器付きの車椅子に乗ったポリオの

障害者Ed Robertsが卒業したら、キャンパス内で得られた介助者や住宅、車椅子修理、

ピア・カウンセリングなどのサービスが使えなくなることから、同じ障害をもつ仲間と話し合い、

家族や友人の協力も得て、地域の中に自立生活センターをつくることになりました。これが、

自立生活運動の創始です。これまで障害者は、リハビリテーションという名のもとに、

健常者にできるだけ近づくことを一生の目的として科されてきました。

 

例えば、衣服の着脱に2時間かけても他人の手を借りずにすることがリハビリテーションでは

評価されたが、自立生活の思想においては、介助を受けることは恥ずかしいことでも主体性を

損なうものでもなく、自らの意志によって選択し、決定することが重要であることが高らかに

宣言されています。リハビリテーションは、期間を限った医療行為であり、

障害者の生活を一生管理すべきものではないのです。


 かつては、障害者を援けられるのは医者、OT、PT、カウンセラー等専門家だけだと

考えられてきましたが、障害者が運営し、障害者にサービスを提供することにより、

重度の障害があっても地域で自立して生活することが可能となったのです。

  • 自立生活センターのシステム

 自立生活センターは一定地域の障害者すべてに、障害種別を問わず総合的なサービスを

提供します。現在、世界各国に自立生活センターが設立されています。

  • 運動体であり事業体である歴史上初めての組織

 自立生活センターは、運営委員の過半数と事業実施責任者が障害者である、という利用者の

ニーズが運営の基本となるシステムを持っています。その理由は、能率や効率を重視するこの

社会の中で、ともすれば忘れられがちなハンディをもつ人たちの権利を、組織の利益よりも

優先させる方法として最も優れているからです。


 重度の障害者が暮らしやすい社会は、誰にとっても暮らしやすいわけですが、

その人たちが暮らすためには良いサービスがその地域に存在している必要があります。

しかし良いサービスは、黙っていたのではできません。その必要性のある人が行政に訴えていく

こと(ニーズの顕在化)と、そのサービスを提供できる事業体をわれわれ自身の手で

作り上げる方法が近道です。そしてその事業体を行政が支援することが最も効率の良い方法です。


 障害者自身がサービスの利用者から担い手に代わっていくことが、最も良い社会サービスを

提供していく最良の手段であることは明らかです。事実、世界中で事業体としての自立生活センターがあり、運動のあるところでは、決まって最上の社会サービスが提供されています。

  • 障害者にとっての自立ってなに?

 自分で立つこと?
 じゃなくて、自分で洋服をきたりトイレができること?
 それとも、自分で自分のご飯を食べること?お金を稼ぐこと??
 誰にも頼らず、1人で生きていくこと???


 いいえ、車イスを利用して移動したって、介助者をつかって服を着替えてもいいんです。

年金で生活するのも、必要なサービスを受給して地域で生活することも、ちゃんとした権利です。

1人で生きるなんて、そもそも無理な話です。 朝食べたパンの原材料の小麦は誰かがつくった

ものですし、電気をつかってパソコンがつかえるのは電力会社があるからです。

生まれたときから、誰でも自分以外の人とかかわりながら生きています。

  • 私たちの考える自立生活とは・・・

 1人の人間として、その存在を認められることです。
 それは、ばかにされたり、いないものとして扱われるのでもなければ、

守るべき者やヒーローとされることでもありません。自分の人生においてあらゆる事柄を選択し、

自分の人生をじぶんなりに生きていくことです。


 自立生活とは、どんなに重度の障害があっても、その人生において自ら決定することを

最大限尊重されることです。選択をするためには選択肢の良い点・悪い点を知らされ、

ある程度経験も必要です。一部を選択したり全てを選択しないという選択もあります。


 自立生活とは、危険を冒す権利と決定したことに責任を負える人生の主体者であることを

周りの人たちが認めること。また、哀れみではなく福祉サービスの雇用者・消費者として

援助を受けて生きていく権利を認めていくことです。


 基本的には、施設や親の庇護の元での生活という不自由な形ではなく、ごく当たり前のことが

当たり前にでき、その人が望む場所で、望むサービスを受け、普通の人生を暮らしていくことです。



 <世界初の障害者情報誌『リハビリテーションギャゼット』より>
「自立(生活)とは、どこに住むか、 いかに住むか、どうやって自分の生活をまかなうか、

を選択する自由をいう。それは自分が選んだ地域で生活することであり、

ルームメートを持つか一人暮らしをするか自分で決めることであり、自分の生活一日々の暮らし、

食べ物、娯楽、趣味、悪事、善行、友人等々ー すべてを自分の決断と責任でやっていくこと

であり、危険を冒したり、誤ちを犯す自由であり、自立した生活をすることによって、

自立生活を学ぶ自由でもある。」

 この定義によれば、経済的自立が達成されなくても、自分で自分のことができなくても

自分で決断を下して責任をとることができればよいのです。

たとえば、障害が重くて仕事に就くことができなければ年金や手当を活用すればよいし、身辺の

ことが自分でできなければ介助者に指示してやってもらえば、それで自立は達成できるのです。

従来の福祉ではとうてい自立できないと思われていた障害者の自立ですが、

当事者サイドの考え方をとり入れれば可能なものとなったのです。


 身辺のことができなくても自分で決め、その意志を伝えることはできるのです。

細かい金銭管理が難しい人は、CILにサポートを頼むことができれば、

その障害者は自立している障害者といえるのです。

  • JILが考える自立生活センターとは

 全国自立生活センター協議会の正会員となる団体は、以下の5つの条件を満たすことです。

  1. 意思決定機関の責任および実施機関の責任者が障害者であること。

  2. 意思決定機関の構成員の過半数が障害者であること。

  3. 権利擁護と情報提供を基本サービスとし、且つ次の四つのサービスのうち

    二つ以上を不特定多数に提供していること。

    ・ 介助サービス
    ・ ピア・カウンセリング
    ・ 住宅サービス
    ・ 自立生活プログラム

  4. 会費の納入が可能なこと。

  5. 障害種別を問わずサービスを提供していること。

 

 準会員になると条件はややゆるやかになりますが、障害者が中心的な役割を担うこととサービス提供は変わりません。

  • 自立生活運動ってなに?

 自立生活運動とは、障害当事者自身によって、障害者が地域で生活をするために必要な制度や

社会の意識を新しくつくりかえることです。それは、制度的に介助を保障することだったり、

道路や建物をバリアフリー化することだったり、障害者への差別や偏見をなくすことだったりします。

また、障害者ひとりひとりが、障害を理由に奪われていた経験を取り戻し、自分にもともとある力

に気づいていく過程でもあります。


 自立生活運動は、1960年代アメリカで「障害者にもみんなと同じ権利を」と、

障害者が声を上げたことからはじまりました。
 日本でも、1970年代、障害者の人権の保障を求めるいわゆる「青い芝の会」の運動が

注目され、社会の中での障害者の存在が顕著なものとなっていきました。

また、それと殆ど時期を同じくして東京都 府中市にある都立施設の改善を求める活動に端を発した

「府中療育センター闘争」が始まりました。後者の運動は自立生活運動にも大きな影響を

与えるものとなりました。この闘争では施設の改善を当初は求めていましたが、あくまでも

施設の枠内での改善に過ぎない結果におわりました。施設での生活に失望する障害者は地域での

生活の道をさぐることに活路を見出すこととなります。地域での生活といっても、CIL以前の

ことですから、かなり厳しい現実に直面することは想像に難くないことです。

不十分な制度(生活費や介護制度)や、部屋さがしを始めとする生活ノウハウのなさ、

ボランティアの介護者さがしの不安感を個人の力で乗り越えてきた障害者の姿があります。

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